圧倒的な石の存在感。古代からの建築と作庭の工法を再現、現代的に磨きをかけた江之浦測候所。[後編]〜石を巡る探訪記|スタッフブログ|株式会社 小野石材店|山梨県の墓石販売・施工・リフォーム 石のエクステリア・ガーデン

0120-35-3042[受付時間]
平日8:00〜17:00

スタッフブログ

圧倒的な石の存在感。古代からの建築と作庭の工法を再現、現代的に磨きをかけた江之浦測候所。[後編]〜石を巡る探訪記

こんにちは大沢です。

以前の投稿から間が空いてしまいました。
久しぶりの投稿となります。(-“-;A

人より1.5倍の長さを持つ、私大沢の胆嚢たんのう(※)がまた暴れて入院しているのではと、誰かが噂していたとかしていないとか(笑)

胆嚢たんのう豆知識…西洋梨のような形状をしている臓器。大沢の胆嚢たんのうは、人より長く、ナスのような形をしているとされます。
入院の経緯は「スリーピークス八ヶ岳トレイル 2018 今年もブッちぎります![小野石材店トレラン部の熱い挑戦]」参照。

nasu

ブログをちょっとお休みしている間に、楽しい話題やお伝えしたいことなどありますので、また随時このブログでご報告させていただければと思います(・∀・)

それにしても今年は、記録的な日照不足が続いています。
先日のNHKでは、「都心では記録的な日照不足。昭和63年以来」と報じています。
ニュースを見ると農作物への影響が大きいようです。
幸いにも自宅の庭で栽培している、私の胆嚢たんのうのような長ナスは元気ですが、多くの夏野菜に影響が出ているようで心配です。

こうした異常気象で、これ以上の被害が出ないことを祈るばかりです。
また台風の影響で、西日本を中心に記録的な大雨などで被害が報告されています。

今日から晴れの予報が続きます。ようやく梅雨明けでしょうか。
早く夏らしい、青空が広がるスカッとした天気と、良いニュースが届いてほしいですね!

大反響の江之浦測候所編 最終回です!

さて、久しぶりの投稿ということで、今回の記事も大目に見てもらおうと(汗)
大変長らくお待たせしました!

大好評の江之浦測候所えのうらそっこうじょ編。
ついに最終回。
前編、中編と続きまして、最終回の「後編」となります。

ぜひ、合わせて前編の

江之浦測候所

圧倒的な石の存在感。古代からの建築と作庭の工法を再現、現代的に磨きをかけた江之浦測候所。[前編]
〜石を巡る探訪記
[小野石材店 公式サイト]

そして中編、

江之浦測候所

圧倒的な石の存在感。古代からの建築と作庭の工法を再現、現代的に磨きをかけた江之浦測候所。[中編]
〜石を巡る探訪記
[小野石材店 公式サイト]

もご覧になってみてください(・∀・)
※ボリュームがありますので、すべて目を通すよりも記事をザッと見ていただき、興味を惹かれるものの説明を読む見方もオススメです!

施設内の紹介は、これまでのブログ同様に、訪れた際にいただいたガイドブック(施設概要)に沿ってご紹介いたします。写真に対する説明文は、杉本博司すぎもとひろし氏がガイドブックに記したものを引用させていただきました!
(※ウェブ媒体の特性上、読みやすいよう難しい漢字をひらがなにしたり、長文の場面は略しています。)

京都五条大橋礎石そせき

江之浦測候所

江之浦測候所

▲ 豊臣秀吉の時代に改修された五条大橋の石柱の礎石。

村野藤吾設計で昭和16年(1941)に京都東山に竣工した「比燕荘」の玄関庭石としてえられていた。
平成22年(2010)比燕荘の解体に伴い寄贈された。礎石は天正18年(1590)方広寺大仏殿の造営に当たって、豊臣秀吉の命によって五条大橋が石柱の橋に改修された時の礎石に当たる。石柱部は小川治兵衛設計による平安神宮中神苑の臥龍橋渡り石として使われている。

元興寺礎石

江之浦測候所

▲ 旧元興寺敷地内より発見された礎石。

平成16年(2004)、奈良にある旧元興寺敷地内に建つ民家建て替え工事に伴い、発掘調査が行われた際に発見された礎石4基のうち3基。
広大な敷地が堀で囲われていたものと思われ、いくつかあった四脚門または食堂の礎石と思われる。礎石の上に建つ柱の直径は60センチでかなりの大型建築と推測される。

生命の樹 石彫大理石レリーフ

江之浦測候所

▲ 奥に続く古代ローマ円形劇場の入り口に扁額へんがく(横に長い額)として掲げられる。

旧約聖書に記載されているエデンの園にあったとされる生命の樹が、大理石のレリーフとして表現されている。今に残るベニスのグランドキャナルに面した商館のファサードにめ込まれていた。動物と鳥たちが若葉の芽生えた樹に絡みついて登る意匠は生命の神秘を感じさせる。古代ローマ円形劇場写しの入り口に扁額へんがくとして掲げた。

根府川石ねぶかわいし 浮橋

江之浦測候所

▲ 江之浦測候所近隣の根府川石を使用した踏石

近隣の根府川ねぶかわ石丁場から採取される根府川石は、自然肌の平滑面を持つのが特徴である。この平滑面を利用して踏石としてレベルを揃え、自然石を地表からわずかに浮かせて設置した。石を伏せるという工法の顕著な例である。

亀石

江之浦測候所

▲ 人手により加工された可能性もある亀石。

亀石は奈良県明日香村にある遺構いこうが知られ、また伊勢神宮外宮でも亀の頭に似た石が亀石と呼ばれている。
この石は自然石と思われるが、底面がきれいな平滑面で人手により加工された可能性もある。
亀は北東の方角に向き泳いでいるように据えられた。
北東は鬼門の方角にあたり、その先には首都圏がある。文明が滅びた後、亀の頭が見据える先には、古に栄えた都があった方角を指し示している。

野点席

江之浦測候所

蜜柑みかん畑の石組みを再利用した。

蜜柑みかん畑の石組みを再利用した野点席。冬至の朝には暖を取るための焚き火の場となる。

日吉大社 礎石

江之浦測候所

▲ 日吉大社の旧神宮寺跡にあった礎石に水鉢の穴を穿ったもの。

比叡山の地主神である日吉大社の旧神宮寺跡にあった礎石に水鉢の穴を穿うがったもので、明らかに火災に遭い損傷した跡が伺える。これは織田信長の比叡山焼き討ちの際に火中したものと思われる。石は兵庫県産出の龍山石で安土城の石垣にも一部使われている。

百済寺くだらじ 石橋

江之浦測候所

▲ 現在の寺域より移された石橋。

伝承によると、百済寺は聖徳太子建立の熊凝精舎くまごりしょうじゃを引き継いだ百済大寺の故地であるとされるが、古代より移転改称があり現在地が創建の地である確証はない。この石橋は現在の寺域より移された。

藤原京 石橋

江之浦測候所

▲ 藤原京域内にあった旧家の庭にあった石橋

藤原京は日本初の唐風都城として、大化改新以降の首都として作られた。1990年代に発掘調査が進み東西の京極大路が発見され、規模が10里四方(約5.3km)で平城京や平安京よりも広い古代最大の都であったことが判明した。この石橋は域内にあった旧家の庭にあったもの。

渡月橋とげつきょう礎石

江之浦測候所

嵐山の渡月橋は古くは御幸橋みゆきばしとも呼ばれ、亀山上皇が「隅なき月の渡るに似る」と詠んだことから名付けられた。昔は今より100メートル程上流にあり慶長11年(1606)、角倉了以すみのくらりょういが現在の場所へ架け替えた。この礎石はそれ以前のもので、昭和37年(1962)の渡月橋補強工事の際に川床から発見された。水穴が斜めに穿たれているのは橋脚きょうきゃくの傾斜を支えていたためで、石を切り出した矢跡は500年の水流に摩滅し溶けている。
※矢跡…石工が石を切り出すために岩盤に打ち込んだ矢の跡

内山永久寺十三重塔

江之浦測候所

江之浦測候所

▲ 明治期の廃仏毀釈により廃寺となった、内山永久寺の十三重の塔

内山永久寺は大和の古社、石上神宮の神宮寺で平安末期に鳥羽天皇の勅願ちょくがんにより建立された大寺であった。
しかし、明治初年の廃仏毀釈はいぶつきしゃくにより完膚なきまでに破壊され廃寺とされた。永久寺からは国宝、重要文化財などの多くの名宝が散逸さんいつした。(藤田美術館や出光美術館が所蔵)
この塔は近隣の豪族の家に移存された塔で、四方仏に梵字ぼんじ鑿切りのみぎりされている。

円形石舞台

江之浦測候所

▲ 伽藍石を中心に、京都市電の敷石を放射状に擦り合わせた円形の石舞台。

中央には大名屋敷の大灯籠を据えていた伽藍石がらんいしを置き、周囲を京都市電の敷石を放射状に擦り合わせてある。舞台の周りの巨石は江戸城の石垣のために切り出された巨石。
近隣の山中から切り出され江戸湾まで回航されたが、回航に失敗して沈んだ巨石が根府川海岸の海底に散見される。

光井戸

江之浦測候所

▲ 冬至光遥拝隧道の中ほどに採光のための井戸が設置。

井戸枠はその鑿痕さっこんから中世のものを判断される。
井戸枠の内には光学硝子破片が敷き詰められる。雨天時、雨粒の一滴一滴が井戸に降り注ぐのが目視できる。

石造鳥居

江之浦測候所

鳥居の古様を残す例として、山形県小立部落にある重要文化財指定の石鳥居がある。この鳥居の形式に準じて組み立てられたのがこの石造鳥居である。柱には中世以前を思わせる矢跡がある。踏込石には古墳石棺蓋石が使われた。古墳蓋石は太古に二分割されたと思われる。

小松石 石組

江之浦測候所

▲小松石は香川県の庵治石や岡山県の万成石などと並び、日本の銘石として知られる。

江之浦測候所から北に2キロ程の場所に小松石丁場がある。小松石は積層せきそうが剥離した肌に独特の形と味わいがある。この小松石を景石として三角形の苔庭に据えた。

道標、右こうや左よしの至

江之浦測候所

高野街道と吉野街道の分岐点、現在の和歌山県橋本市にあった道標みちしるべ

五輪塔(非公開)

大分県国東半島くにさきはんとうは修験道の霊場として古代から知られ、山中には多数の石塔が残る。この五輪塔は中でも大型の塔で、軟石の石肌は苔むしている。

石屋として、非常に興味深い五輪塔は残念ながら非公開。(T_T)

京都市電 軌道敷石

180621_086

江之浦測候所

待合棟の広場を始め、敷地内の巡回路に多数使われている。数十年に渡り自動車路として共用されたために、石の肌が摩耗して味わいがある。京都市電は明治28年(1895)に京都電気鉄道により、日本初の電車事業として開業した。その背景には、琵琶湖疏水びわこそすいの完成と蹴上けあげの水力発電所による電力の供給があった。昭和53年(1978)惜しまれつつ廃業。軌道石は民間に払い下げられた。

法隆寺 若草伽藍わかくさがらん礎石

江之浦測候所

日本書紀によると法隆寺は天智9年(670)4月30日早暁に焼失されたと記されている。若草伽藍は明治期に発掘され、この礎石はその際に民間に流失したものと思われる。法隆寺創建時の貴重な遺品である。

石の持つ魅力と輝きを再発見できる場所

いかがでしたでしょうか。
まだまだ紹介しきれないものもあります。
石屋のブログですから、石を中心にご紹介させていただきました。

江之浦測候所

江之浦測候所

この江之浦測候所では、どの場所でも「石」の存在を強く感じさせられます。
極力手を加えず、石本来の魅力を引き出すような作庭となっており、石の使い方には石屋でなくても思わず唸ってしまいますし、建築や造園、アートなスポットとしても一度は訪れたい場所です。
江之浦測候所への見学のチケットはこちらから購入できます。⇢「江之浦測候所見学のご案内

そして一つ一つの石が古墳時代から中世、近世、近代までと様々な歴史と物語を持っています。
歴史好きな私は、織田信長や豊臣秀吉などが出てくるだけでたまりません(笑)

そしてここを訪れて思うことは、古代から日本人は石に関して特別な想い、畏敬の念を寄せてきたということです。

そんな「石」を扱う石屋として、石の歴史、パワー、先人たちの思いに心を寄せ、技術を磨き、お客さまにご提供したいと改めて強く決意しました。
江之浦測候所扁は今回の記事で最終回となりますが、また機会あれば取り上げたいと思います。

小野石材店のブログでは、墓石のことを中心に取り上げることが多いのですが、建築部門も多くの実績とお仕事をいただいております。
建築・造園などに関してもお気軽にお問い合わせください!

小野石材店では、お盆や秋のお客さま感謝フェアなどを控え、お客さまにお伝えしたいこと、ご提供したいこと、たくさんあります。
またブログなどを通じて情報を発信していきますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。(・∀・)

このカテゴリの投稿

ページの先頭へ