スタッフブログ

偉人のお墓巡り2 | 武田信義(鳳凰山願成寺)

こんにちは福田です。
私事ですが・・・幼いころより歴史好きで、今ではお寺に行き歴史上の人物のお墓を見るのも趣味にもなっています。
関連記事:歴史を感じる(浅利与一のお墓・大福寺紹介)

そこで、今回は武田信義を紹介させていただきます。

信義は新羅三郎義光(源義光)のひ孫にあたり、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した甲斐源氏4代目当主であり、武田氏初代当主です。浅利与一(浅利義成)は源清光の11男、武田信義は次男です。
信義は以仁王の令旨により、甲斐国の実権を握った人物で、その後も諏訪や駿河に進出し、占拠をしていきました。
東国では鎌倉幕府を開いた源頼朝、源義仲、武田信義の三者が武家の棟梁として並立する時期が続き、一ノ谷の戦い・屋島の戦い・壇ノ浦の戦いなどに参加しました。
しかし、頼朝の路線である同格の武家の棟梁を排除もしくは屈服させるという考えの中で、障害となる存在になってしまい鎌倉幕府の御家人という扱いへと転じていったそうです。

参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/武田信義
そんな信義のお墓は、韮崎市にある鳳凰山願成寺(曹洞宗)にあります。
ここは信義が開祖でもあり、祈願寺でもあったそうです。

では実際に願成寺へ行ってみましょう。

山門の入り口からも桜が見えて綺麗です。

本堂から左手の一番手前に信義のお墓はあります。

願成寺 武田信義墓所案内図1

武田家家臣の招魂の碑

武田家家臣招魂の碑
山門の手前には武田家家臣の招魂の碑もあります。

信義のお墓

武田信義墓所
これが信義のお墓です。
五輪塔が三つ見えますが、信義の墓を中央に、左の五輪塔は信義夫人、右の五輪塔は武田氏13代信昌(信玄の父信虎の祖父)の息女祖母姫(うばひめ)の墓と伝えられています。
4_20120417113508.jpg
また、角礫凝灰岩(かくれきぎょうかいがん)の五輪塔で鎌倉初期の形だそうです。
(角礫凝灰岩=角がカドカドしい粒子が固まってできた岩)
ちょうど桜が満開の時期でしたので、平日にも関わらず観光客の姿も見受けられました。

武田氏は信義の後20代続いた、武家の中でも名門です。

16代信玄、17代勝頼が特に有名ではありますが、信義から始まったと考えると、歴史好きの私にはとても興味のある人物でした。
以前に紹介させていただいた記事(のどかな風景に武田氏由来のお寺|鳳凰山願成寺)では夏の盛りでしたが、今回は桜満開の願成寺を紹介させていただきました。
偉人のお墓にも四季折々で表情が違うので、それを見つけ、感じるのもお寺参りの楽しみのひとつです。
これからも折を見て紹介させていただきたいと思います。

小野石材店オフィシャルサイト・Facebookページもぜひご覧ください!
株式会社 小野石材店オフィシャルホームページ

CATEGORY

お墓・石材に関すること
なんでもご相談ください

お気軽にお問合せください

0120-35-3042